聖域を理解しない馬鹿 と 聖域を作る馬鹿
会社であろうと、なかろうと、幅広く「組織」形成がされると、暗黙の了解が生まれ、そのうち「明文化」した規則が作れるようになる。これは後からこの「組織」に入ってくるメンバーが暗黙の了解を「壊さない」役割を果たすという意味では、一定の効果があるように思われます。
聖域を理解しない馬鹿
ただし、この手の規則というのは全体適用するには不都合が生まれます。そんな中生じるのが「聖域」と呼ばれる領域です。法が効かない領域、とでもいいましょうか。もちろん、この聖域がないに越したことはありません。でも、ほとんどどの組織も、類似したものがあるのではないでしょうか。多くの場合、この聖域は「イケてない」ものとしてアンチが多いのでしょう。このアンチにはあ2種類あると思ってます。聖域を作る馬鹿と聖域を理解しない馬鹿。
聖域が作られる、許されるには「背景」があります。この背景が多くの方に理解されているうちは問題ないんだと思います。これは聖域にいる側も、聖域の外の外にいる側も。この背景、というのは本来時限性があるものなんですよね。この時限性が長くなればなるほど「恒久」と勘違いして、歪みがでるわけです。ここに恒久と勘違いする聖域を理解しない馬鹿が生まれます。また、「全ては平等である」という、「最初から馬鹿」もいます。
聖域を作る馬鹿
一番やっかいなのは、「聖域を作る馬鹿」こちらでしょう。あれがOKならこれもOKだろうと勘違いするタイプですね。先ほど書いた通り、多くの人が「背景」を理解して聖域というのは成り立っているにも関わらず、自分たちだけがよしとした「聖域」は「わがまま」でしかありません。
このようなタイプの馬鹿とどのように向き合っていったらいいのでしょうか。そうそう、聖域と言えば、サンクチュアリ、そう聖闘士星矢ですね。
私はこの手の馬鹿が生まれた時は「デスマスク」扱いをして「かわいそうなカニだな」と道端のゲロを見るかのような視線を送るようにしています。
あとがき:聖闘士星矢のキグナス氷河の「ホーロドニースメルチ」が、子どもには呼びにくいという理由でTVアニメ版ではオーロラサンダーアタックに変わったことを最近知りました。
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